経済のために生きるわけではない
日本の年間出生数は72万人を割り込む見通しとなった。統計を開始して以来、最も少ない数字であり、少子化の進行がますます深刻化していることを示している。政府関係者や経済アナリストは、この傾向が続けば、将来的に社会保障制度の維持が困難になり、労働力不足が深刻化すると警鐘を鳴らしている。
報道各社も多くは、「現役世代の負担増」「日本経済の成長鈍化」といった論調で伝えている。「出生数の減少は、社会全体の活力を奪い、結果として国の経済成長にマイナスの影響を与える」という視点が中心だ。なんだか「子どもが生まれないこと」が経済的な問題としてのみ語られているかのように感じてしまう。
人間は国家や経済のために存在するわけではない。経済はあくまで人々の生活を豊かにするための手段であり、目的ではないはずだ。にもかかわらず、「出生数の減少=経済の停滞」といった図式が当たり前のように語られていることに、常々、まあ、それはそれでわかるけど…と思いながらも違和感を覚えるのである。
さて、そもそも人はなぜ子どもを産まなくなったのだろうか。
一般的に、少子化の原因として挙げられるのは、経済的負担の大きさや育児環境の整備不足、価値観の変化などだ。なんとなくだが「子どもを産みたい」という根源的な欲求が弱まっているのではないか、と思うこともある。現代では、個人の生き方の選択肢が増え、結婚や子育て以外の人生の価値が認められるようになった。また、将来の不安や育児の負担感が大きくなり、「子どもを産むこと」に対して慎重になる人が増えているのも事実だ。加えて、都市化の進展による共同体の希薄化や、社会の変化による家族観の変容も影響を与えているのだろう。
地球上には数えきれないほどの生き物が存在し、それぞれが独自の営みを続けている。動物たちは種を存続させるために本能的に繁殖を行うが、環境の変化や生存戦略によって繁殖の在り方も変わる。例えば、一部の動物は厳しい環境下では繁殖を抑え、逆に適応できる環境では積極的に繁殖する。人間もまた、進化の過程で環境に応じて子どもを持つ選択を変化させてきたのだろうか。
一方で思うこと。
もし本能的に子どもを産まないことを選択する人が増えたとしたら、それは「悪いこと」なのだろうか? そもそも、人生は経済のためにあるわけではない。人が生きる目的は、社会や国家の利益のためではなく、それぞれが自分自身の人生を生きることにあるはずだ。しかし、ニュースを見ていると、あたかも「国のために子どもを産め」「経済のために人口を増やせ」と言わんばかりだ。
この違和感はどこから来るのか。それは、日本社会が未だに「経済成長ありき」の価値観から抜け出せていないからではないのか。確かに、人口減少には課題が多い。しかし、だからといって「出生数が減ること=悪いこと」のような視点は短絡的過ぎる。むしろ人口が減ることを前提に、どうすればより良い社会を築けるのかを議論すべきではないかとも思う。
私自身、家族を持ち、子どもとともに生きる人生を選んだ。家族と過ごす時間はかけがえのないものであり、人生に深い意味を与えてくれた。自分の人生において、家族は何よりも大切な存在だ。
とはいえだ。「人口減少=悪」、あるいは「ヤバいぞ」という議論だけではなく、一人ひとりの生き方を尊重しながら、より豊かな社会をどう作るかを考えることが重要なのではないかと思うのである。
少子化の報道が「人は国のために生きるのではなく、自らの人生のために生きているのだ」という当たり前の視点を、見えなくしているように思うのである。

