堂場瞬一『水を打つ』──燃え尽きた者の心に響く物語

堂場瞬一の『水を打つ』は、競泳をテーマにしたスポーツ小説でありながら、人生の岐路に立つ人々の心理を深く描いた作品だ。「燃え尽き症候群」にも通じるテーマがあり、かつて燃えるような情熱を持っていた人ほど共感できる部分が多い。仕事や家庭での役割が変わり、情熱を持てなくなったとき、人は何を支えに生きていくのか。この小説は、そんな問いを突きつけてくる。

かつての栄光と、今の自分

『水を打つ』の主人公・矢沢大河は、日本記録を持つ自由形のトップスイマー。しかし、前回のオリンピックではメダルに届かず、彼の競技人生は岐路に立たされている。次の東京オリンピックを目指すものの、そこに高校生スイマーの小泉速人が現れ、新たな脅威となる。若く才能に溢れた選手が台頭し、自分の立場が揺らぐ感覚——これは、ビジネスの世界でも年齢を重ねた人が若手に追い抜かれるときに感じるものと重なる。

矢沢は、自分が持っていたはずの「絶対的な力」が揺らいでいることを自覚しながらも、プライドが邪魔をして素直に受け入れられない。かつての自分と今の自分、周囲からの評価と自分自身の感覚。そのギャップに苦しみながらも、彼は泳ぎ続ける。

周囲の評価と、自分自身のギャップ

矢沢は、世間から見れば「日本のトップスイマー」であり、まだまだ戦える選手だ。しかし、本人は年齢や環境の変化を肌で感じ、かつての自分とは違うことを痛感している。これは、シニア層の多くが感じる「過去の自分」と「現在の自分」とのギャップに似ている。

「まだまだいける」と周囲は言う。だが、自分自身は「本当にそうなのか?」と疑問を抱く。他人の期待と現実の自分とのズレが、焦りや不安を生む。矢沢が抱える苦悩は、仕事で一線を退いた人や、かつてのポジションを維持できなくなった人の心理とも通じるものがある。

もう一度、火を灯すには

矢沢が直面するのは、単なる競技の問題ではない。自分の「存在価値」をどこに見出すかという問いでもある。過去の栄光にしがみつくのではなく、今の自分を受け入れ、どう進むかを決めること——これは、競技人生だけでなく、あらゆる人生の局面で求められることだ。

この小説では、矢沢がどのように自分と向き合い、どのように前を向くのかが描かれる。そのプロセスは、シニア層が新たな役割を見つける過程とよく似ている。「過去の自分」と競うのではなく、「今の自分」にできることを見つけること。その意識の切り替えが、再び前に進む力を生み出すのだ。

共感と希望を与えてくれる物語

『水を打つ』は、単なるスポーツ小説ではない。人生の転機に立つすべての人に向けた物語だ。特に、かつて何かに全力を注いできた人ほど、矢沢の葛藤に共感できるはずだ。

「もう一度、何かに夢中になれるのか?」
「自分の価値はどこにあるのか?」

そんな問いを抱える人にとって、この本は大きなヒントを与えてくれる。人生に遅すぎることはない。新しい役割、新しい情熱を見つけることは、いつからでもできるのだ。

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